kaerusan backyard
浅草十二階計画
かえる目
身体と記号
わたしたちの身体表現は、誰にでもすぐに理解可能な「記号」に絞り込まれる。そのとき、残ったものはいっけん冗長に見える。しかし、じつはその残余の部分にこそ「身体」がある。その「身体」につきあうことをわたしたちは捨象し過ぎているのではないか。
ちょうどtumblrで、引用元の要約によって進められたコメントが貧しくなるように。
情動の開く未来
以前、こんな光景をグループホームで見た。
Bさんは、自分の名前も言えないし、出会った人のことを端から忘れていく。何秒かおきに(たぶんワーキングメモリの途切れるあたりで)「あなた、だれでしたかいの?」と聞かれる。そのBさんのもとに、ひさしぶりに娘さんがやってきた。娘さんが声をかけても、Bさんにははかばかしい反応は浮かばない。ああ、娘さんでも同じなのか、と思った。しばらくして、お昼ご飯前になり、娘さんがみんなに挨拶して、立ち去るべく居間の硝子戸を閉めた。
そのとき突然、Bさんの顔にさっと激しい表情がさした。両手をメガホンのようにして「こっちへこないの?」とはっきり言って、左手で、こいこい、という ように硝子戸の向こうに手招きをした。あいにく、娘さんには声が聞こえないらしく、もう玄関に向かっている。吉村さんが気をきかせて、硝子戸を開けると、 Bさんの手は止まって、声も出ない。けれどまた硝子戸が閉まると、「こっちへこないの?」と左手で手招きをする。
もうお昼ご飯の配膳が始まって、「Bさんご飯ですよ」と職員から声がかかる。またBさんの手は止まる。まだ表情が名残っている。視線がさまよっているB さんと、目が合う。Bさんはこちらに向かって、こいこい、をする。うなずくしかない。すると、また視線がさまよって、Bさんは吉村さんにも、こいこい、を する。
ある未来が閉じようとしている。そのとき、情動がさっと立ち上がる。身体が思わず動く。そこから別の未来が開ける。
近しい人と別れるときだけに立ち上がる情動が、Bさんに訪れて、Bさんは、こいこい、をする。次の瞬間にはもう、Bさんはなぜ自分がこいこいをしている のか、判らないのかも知れない。それでも、情動は名残って、Bさんの身体を動かす。Bさんは情動の宛先を、開かれた未来の絞り込まれていく先を探してい る。
Bさんに一瞬訪れた情動の光芒と、食卓でのAさんの行動を考え合わせる。AさんにもBさんにも、もやのかかった認知の向こうに、情動の開く未来がある。 それは、生活の節々にやってくる未来だ。食事が終わる。誰かと別れる。未来が閉ざされようとするときに、情動が立ち上がる。身体が少し動く。身体が兆しを 示している。それはほんのささやかな、わずかな兆しではある。その兆しはどこに向かって絞り込まれようとしているのか。それはAさんやBさんだけの問題で はない。それを読み取り、見極め、引き受けるわたしの問題でもある。
ちょっとtumblrの位置づけをかえて
メインの日記からの抜粋を貼り付ける、というのをやってみようかなと思います。
スタントの顔、俳優の肉体
デスプルーフについて
スタントとは肉体の代役だ。スタントから見ると、俳優は顔の代役だ。
スタントの顔、俳優の肉体、というのがタランティーノのテーマだ。
タランティーノの映画に出てくる役者はみんなこの身ひとつだ。
どんな二枚目にも肉体があり、どんな筋肉男にも顔がある。トラボルダは靴を脱いで、だらしない足先を靴下で強調しながら踊る。ただ肉体を賛美するのではなく、この世に生まれたことじたいが持つアンバランスさを力に変えてやること。誰もが二本足で、アンバランスに倒れかけながら、それを歩く力に変えていることを映すこと。デスプルーフのかわい子ちゃんが二本足で歩く。映画館を出たわたしにかわい子ちゃんが憑依してふうふうとことばにならない雄叫び、いや雌叫びをあげながら町を一人歩いている。
2007.9 「デスプルーフ」を見たあとに紙切れに書いたメモ
カレンダーがカラフルだ。
きれいだなあ。
などと悠長なことを言ってる場合ではない。
白がまるでない、ということは、夏休みがない、ということだ。いやはや、ほんとーに、まとまった休みというものがない。南方にトンズラしたいが、その余裕もなさそう。仕事はまっとうにやっているつもりだが、それを上回る催促が連日来る。その催促へのいいわけを考えるのにも忙しい。そのくせ、大学の将来構想委員なるものになってしまった。将来をバラ色に描くためには現状に余裕がなくてはならぬ。あくせく働くものが将来に対してあげるのは悲鳴でしかない。というわけで、晴れ、ときどき悲鳴、というような文書をちょっと書く。
図書館で利用調査をする。学生が手分けして各テーブルで起こっていることをスキャンサンプリングしていく。わたしは、ミュージック・マガジンのパフューム特集とかイワシと気候変動とかを立ち読みしながら、その様子を見るともなく見ている。図書館の調査は万事、小声、もしくは沈黙とジェスチャーによって進行する。図書館を出るとみんな、わあっ、という感じで話し出す。
これってただの日記だなあ。tumblr向きじゃないよね。juicyな文章じゃなくてすいません。
白湯のような文章が書きたいって言ったのは漱石だっけ。
hohensteinのデザインしたラ・ボエームの小道具。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/La_Boheme_Act_II_props_2.jpg

