kaerusan backyard
浅草十二階計画
かえる目
軒下が弱み
5月にベランダの下をちょっと耕してもうすぐ三ヶ月。
気がつくと、仕事の行き帰りにベランダ下に寄るようになり、そこでうずくまってそれぞれの草の様子を見るようになり、薄暗くなってふいと立ち上がって同じ棟の奥さんを驚かせたりしている。
雨が降ると外に出て、どのくらいの雨ならば軒下のどこまでが濡れるかを確かめるようになった(軒下にお隣りからもらったヘデラを植えているからだ)。小雨なら濡れていない部分に水をかけ、大雨ならよしよしと見守る。チャペックが「雨が降ると、庭に雨が降っているんだな、と考える。日が照ると、ただ照っているのでなく、庭に照っているのだと思う。夜になると、庭が休息しているのだ、と思ってうれしくなる。」(園芸家の一年)と書いているのは、けして大袈裟ではない。ほんの少しの、菜園というほどもない軒下の一角が、いまや雨風を測り、陽射しを確認するアンテナとなっている。戸外の雨音に敏感になったのは、聴力が増したからではなく、軒下の一角が無意識の一角を占めるようになったから。無意識の一角に落ちる雨音だから、それはすばやくキャッチされる。
そして、軒下のできごとすべてが無意識の一角に反映されているわけではない。最初の一ヶ月あれほど弱々しかったヘデラは、知らぬ間にそのツルの先端でベランダの壁を触っており、タイムはいつのまにか花を咲かせ、ペパーミントもオーデコロンミントも、こちらが気を揉もうが揉むまいが、存分に地面を這いながら手頃な日向を探している。肝心な瞬間はいつも無意識の外で起こっている。これまたチャペックが書いているように「予期もせず、なんの世話もしなかったのに、クロッカスとスノードロップが、忽然と庭に出現する」。
気がつくと、こちらが思っていたのとは違う場所に、ミントの新しい枝が伸びている。ためらうことなく摘み、盛大にポットに入れ煮出した茶をごくごく飲むと、また雨音が聞こえる。