kaerusan backyard
浅草十二階計画
かえる目
Sep 1, 2009
3:59pm
情動の開く未来
以前、こんな光景をグループホームで見た。
Bさんは、自分の名前も言えないし、出会った人のことを端から忘れていく。何秒かおきに(たぶんワーキングメモリの途切れるあたりで)「あなた、だれでしたかいの?」と聞かれる。そのBさんのもとに、ひさしぶりに娘さんがやってきた。娘さんが声をかけても、Bさんにははかばかしい反応は浮かばない。ああ、娘さんでも同じなのか、と思った。しばらくして、お昼ご飯前になり、娘さんがみんなに挨拶して、立ち去るべく居間の硝子戸を閉めた。
そのとき突然、Bさんの顔にさっと激しい表情がさした。両手をメガホンのようにして「こっちへこないの?」とはっきり言って、左手で、こいこい、という ように硝子戸の向こうに手招きをした。あいにく、娘さんには声が聞こえないらしく、もう玄関に向かっている。吉村さんが気をきかせて、硝子戸を開けると、 Bさんの手は止まって、声も出ない。けれどまた硝子戸が閉まると、「こっちへこないの?」と左手で手招きをする。
もうお昼ご飯の配膳が始まって、「Bさんご飯ですよ」と職員から声がかかる。またBさんの手は止まる。まだ表情が名残っている。視線がさまよっているB さんと、目が合う。Bさんはこちらに向かって、こいこい、をする。うなずくしかない。すると、また視線がさまよって、Bさんは吉村さんにも、こいこい、を する。
ある未来が閉じようとしている。そのとき、情動がさっと立ち上がる。身体が思わず動く。そこから別の未来が開ける。
近しい人と別れるときだけに立ち上がる情動が、Bさんに訪れて、Bさんは、こいこい、をする。次の瞬間にはもう、Bさんはなぜ自分がこいこいをしている のか、判らないのかも知れない。それでも、情動は名残って、Bさんの身体を動かす。Bさんは情動の宛先を、開かれた未来の絞り込まれていく先を探してい る。
Bさんに一瞬訪れた情動の光芒と、食卓でのAさんの行動を考え合わせる。AさんにもBさんにも、もやのかかった認知の向こうに、情動の開く未来がある。 それは、生活の節々にやってくる未来だ。食事が終わる。誰かと別れる。未来が閉ざされようとするときに、情動が立ち上がる。身体が少し動く。身体が兆しを 示している。それはほんのささやかな、わずかな兆しではある。その兆しはどこに向かって絞り込まれようとしているのか。それはAさんやBさんだけの問題で はない。それを読み取り、見極め、引き受けるわたしの問題でもある。
Page 1 of 1